無表情な顔からにょきにょきと生えて来たような何か。高岡栄司の木彫作品は、特徴のある具象的な頭部に様々な形を組み合わせて作られ、アクリル絵具や柿渋、粉末顔料などで着色される。発想の原点は「自分の納得のいかないときの気持ちや状況」なのだと言う。その感情を形にしてきた。あるときは怒りが頬からぷーっと膨れる。またあるときは、悲しみが頭の後ろをどろどろ流れたりする。言葉少なな彼はその一連の感情の内側までは教えてはくれないが、一途な性質ゆえに数々のコトに対する疑問符は尽きないのであろう。「感情」は形を作る手段となり、制作が思いを解消していく行為なのである。
制作が終了した時点で一旦リセットされ、鑑賞者の前に現れるためのタイトルが用意される。作品とタイトルとの関係については、作品ができあがった時のインスピレーションらしいが、当初の「納得のいかないときの気持ちや状況」を自身で払拭した証のようである。一日の出来事の終わりに日記をつける感覚だと彼は言う。
小学生の頃からプラモデル作りなどと同等な意識で木を彫っていた彼には、それはあまりにも身近な素材であったため、金沢美術工芸大学では石彫を専攻した。卒業後、東京を経由して現在の制作場である鹿児島に帰り、音を出せる環境を得たとき、また再びなじみの深い木という素材を手にしていた。彼の作品をいち早くピックアップしたのはアメリカのギャラリーなのだが、その展開は村上春樹の「海辺のカフカ」(米版)の装丁にも採用されている。この一度見ると忘れられない顔は多くの人を心地よく和ませて来た.
彼の作品がいくつも並ぶと鋳型でとった陶器とよく間違われる頭部の彫刻も、ひとつひとつ削り出している。見えない裏の部分にまで、表と同じように丁寧に彫刻が施されていたりする。かなり頑固に、どこまでも素直に「信じているなにか」にひたむきに向かい続けている。きっとずっとこの部分は変わらないのだろうと確信できるほどに。(金田みやび)