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伊藤幸久個展
ーCHILDHOODー
2008年11月7日(fri)ー16日(sun)
13:00ー19:00 会期中無休
伊藤幸久
ITO Yukihisa
 壁にもたれ、肩を縮こまらせ、申し訳なさそうな表情でこちらの様子を伺うあの子—。
 浮かない顔をして組体操を下で支えるあの子—。
 そしてこの子の背中から映し出されるのは、暖かな光が織りなす昔の思い出—。
 近年、伊藤の作品作りのテーマとなっている“子供”。「イトウユキヒサノスタルジーア」や「18:00」に見られるように、伊藤は自分自身を子供に置き換えて作品に登場させるという方法をしばしばとる。子供の姿へかえることで、より素直に、より大胆に自分を表現し、感情を放出することができるためである。そうして、小さな背中から放たれる暖かな光が伊藤自身の思い出を映し出し、影と灯が物語を織りなしている。
 また、「平等な社会」や「カンガルー」には、光を用いた作品とは異なった見どころがあるように感じる。幼さやあどけなさの漂うしぐさや顔立ちではあるが、彼らは皆、喜怒哀楽のごとき単純明快な感情ではなく、子供がふとした瞬間に垣間見せる、もっと複雑で妙に大人びた、深みのある表情で私を迎える。
小さなコミュニティーの中にしか属していないのだが、子供は実に様々な感情の引き出しを持っていると思う。喜びや悲しみだけでなく、嫉妬や妬みに、優越感や屈辱感、劣等感など、今でこそ言葉で簡単に説明できるが、子供の時はどう言ったらよいのか分からなかった気持ち—子供時代特有の、そういうぼんやりとした懐かしさが、伊藤の作品を見ていると沸き上がってくるのである。大人たちの間だけの暗黙の了解を理解してしまった時のような、そんな微妙な“きまりの悪さ”を誰もが経験したことがあるのではないだろうか。そのような感情を浮かべる子供の顔つきには、不思議な憂いや、暗さや、恥じらいといった表情が現れる。
 自分自身のイメージが“子供”であるという伊藤。すでに大人になってしまった彼は、今度は大人になったからこそ理解できる子供の気持ちを作品化し、そしてまた子供の姿を借りて自らの物語を紡ぎ出そうとしているのである。
                                 山塙菜未
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平等な社会
カンガルー
イトウユキヒサノスタルジーア
18:00