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北本真隆 個展
KITAMOTO MASATAKA
2008年9月7日(sun)ー16日(tue)
13:00ー19:00 会期中無休
北本真隆
KITAMOTO Masataka

 作品とは、制作者の内に潜む意識や感情、観念など目に見えないものを、素材を通して、目に見えるように具現化したものである。このような具現化は作品において表現という。それは「高度化された比喩でもあり、言葉では言い表わせないものを明確に意味づける非=理弁的なシンボル、つまり意識の論理そのものなのであるi」とランガー(Susanne Katherina Langer 1895〜1985)は述べる。
 私の作品においても表現とは、自身の内や周囲への感情、社会性などを、意識的あるいは無意識的に集積し、人物などの形態を通して表したものである。芸術家の表現とは、個人の感情を表すものではない。見たものや経験などから摘出し、凝縮した精神の集積なのである。
 私は1999年から一貫して人物を具象的に描いてきたが、今回、異なる指向性の作品を制作した。しかし、作品の表現は変わることはないと私は考える。芸術家なら作品について全てを語り尽くしたとしても、言葉では言い表せないことが残っていると感じたことがあるように、この言葉では言い表せない箇所こそが作品に含まれた本当の表現である。それは、最も分からないのが自身の作品のように、自身では見つけ出すことが難しく、抽象的である。たとえば、ジャコメッティ(Alberto Giacometti 1901〜1966)は次のように述べる。 
「私をひきつけるのは、それらが深部で似ているからであり、私の愛する画家たちにも共通なあの不思議な類似性、これらの画家たちと同じだけ多様な、またひとつの対象をひとつのキャンバスの上に、無限に存在させるあの類似性をもつからだii」
 この「類似性」たるものが表現の本性であり、むしろ、言葉で言い表すことができる表現とは、真相ではなく、奥深く隠れた制作者自身さえも分からない処に、芸術家の表現の本性が潜んでいるのである。

 意識せずに引いた線、上手く描けずにテレピン油で流し、溶け出した形態、滴り落ちる色彩などから新たな形を探し出し、次の一筆につなげる。それらは油絵具というものが保有する形である。
揺らぎを形態に持ち込むことにより、描いた対象は再現性や模倣から逃れ、素材によって生命を育むのである。そして、自身の意識はただれ、宙に浮く。

                                        北本真隆

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S.K.ランガー/池上保太、矢野萬里訳 『芸術とは何か』 岩波書店 1967年 p.31.
矢内原伊作、宇佐美英治、吉田加南子訳 『ジャコメッティ エクリ』 1994年 みすず書房 p.128.