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中西祐喜個展
NAKANISHI YUKI solo exhibition

2011.3.12(sat)-30(wed)
12:00-19:00 最終日17:00 木曜休館


企画協力 TEXT : 石川達紘
中西祐喜 
NAKANISHI Yuki



twitterにて在廊日等お知らせします
https://twitter.com/NakanishiYuki
本来なら当たり前の様に在るはずのものがないこと。或は何者かが残した痕跡。中西はこれらの「不在」が存在する世界を形にする。不完全な世界であるが故に、人は情報の空白を想像力で補おうとするのだ。
そこに在った、もしくは在るべきものの存在に想いは駆け巡らせ、その姿が徐々に確かなものになってゆく瞬間を味わってほしい。それはまるで、パズルのピースが合致した時のような感覚であるから。
中西の作品は、必要最小限の情報を提供し、観る者の想像力でそれを補うことで初めて作品が完成することを意図して作られている。今回の個展は、近年中西が追求してきた「不在」或いは「空白」、そして「痕跡」によって構成されている。
 たとえば、それは人の姿によって表現される。しかしそれは「人」の要素が切りとられ、空の状態になったものだ。ただの「モノ」である衣服だけが人の姿を形作っている。衣服、靴下など、中西の作り出すものはいわば、その所有者の抜け殻のようなものであろうか。しかしそこに残されたものはその所有者の様々な情報を持っている。中西の作品は人の一番外側にある衣服によって、たとえば性格やシチュエーションなど、外見から読み取ることのできる情報の面白みを教えてくれる。
 また、別の角度から捉える「痕跡」は時間、意志を想像させ、その背景にある人の姿やモノが経てきた時間を感じることができるものである。折り鶴は祈りの象徴であり、その鶴を全て開き、紙に記憶された折り目を示すことで、鶴を折るという行為が持つ「想い」の痕跡を鮮明に表わしている。
 中西の作品のモチーフは日常に見られるものである。彼にとってそれらを作品として立体化することは、日常に注目し、ありふれた存在を形にしているように見えるが、実はそこに込められた意思、メッセージなどの目に見えないものを可視化するための手段なのだ。
 モノにあふれた現代社会において、欲しいものや情報はすぐに手に入り、手に入らない物、不確かなことはますます減ってきている。欲しくても手に入らない玩具を代わりに紙粘土で作って遊んだ子供の頃のように、人が本来持っている想像力は足りないものを補い、心を豊かにすることができるものである。空白を埋めたり、痕跡をたどることで中西の作品は我々が本来持っている想像力を引き出し、新しい価値観や視点を見出すきっかけを作り出しているのだ。