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宮永春香 個展
2009.10.02(fri)-14(wed)
12:00-19:00(最終日17:00)木曜休館

宮永春香 
MIYANAGA Haruka
新作「産霊(musuhi)」と「FEITICO」による金沢個展に寄せて

 今日の陶オブジェはマンネリズムに陥っている、と疑問を挟む声を少なからず耳にします。ほぼ55年前に京都で走泥社が表出させたオブジェ焼の先駆性は次第に薄れ、用の機能を消し去っただけの陶造形が広がりを見せている、というのです。 
 2006年にフランス国立陶磁器美術館(パリ)で開催された「陶磁」—日本の伝統と前衛—展で、企画者のクリスチーヌ・清水氏(同館チーフキュレーター)はプレスリリースやカタログに大変刺激の強いコメントを記しています。
「この特別展は過激な対比から始まる。伝統を重んじる日本の中で個人主義的制作を初めて試みた時期の作品(沼田一雅、浅井忠)とミニマル・アートの陶造形で知られる作家がこの展覧会のために特別に披露するインスタレーション作品との時空を超えた衝突である。」と。
 日本では伝統的作品とコンテンポラリーなものを体よく棲み分ける展観が多く、それはそれでそれぞれの領域を高める利点もあるのですが、その逆に現代陶造形は去勢されたようだ、という指摘があるのです。だから質の高い伝統工芸作品や創作器物に視線が集まる、とも言われます。「時空を超えた衝突」と同根のアートの新たな触発を図るグローバルなコンセプトや表現は見えてきません。例えば、物理の世界で原子核の中性子などとの衝突反応から新たなエネルギーを発生させる仕組み、つまり創造性の高揚が弱いのでしょうか。
 宮永春香の金沢個展は、そのような情況下にあって注目に値する発表になったと思います。
 現代の「護符」と捉えた「FEITICO」(フェティシェ)はポルトガル語の魔法の呪い:魔法、物神:お守り、魅力からとったもの。「産霊(musuhi)」は[結び]の意で、辞書では奈良時代にはムスヒと清音、天地万物を産み成す霊妙な神霊、産霊神とあります。
 この二つのタイトルに通低する概念にフェティシズムがあり、その意味の深奥は単に呪物偶像崇拝、超自然力信仰、性的欲望、物神崇拝としてではなく、共通項にはシンボル化の能力として現代に通低する文化の本質的な現象があるとされます。 
 宮永春香は、金沢美術工芸大学大学院の博士後期課程(工芸領域陶磁分野)までを一気に駆け上がり、工芸分野では金沢出身の女性で現在ただ一人芸術博士号を取得した作家です。伝統的な価値や技法、技術を熟知した上で視点を現代に向けた強固な創作姿勢。独自性を念頭においた創作研究。また、作品制作と表裏に進められた学位論文では、「系統樹」の明確な論理が顕在化されていました。
 「産霊(musuhi)」に戻します。「FEITICO」が紐を無心に編む行為から成るのに対して、「産霊(musuhi)」の紐を「結び」、「つくること」を意図した作品成立への移行は必然だったようです。そこでは、「系統樹」の思考を根底にした一例として、枝葉は同相でも、「渋柿に甘柿の接木」をして渋柿を甘柿に変えるという仕掛け、とも言えましょう。
 2008年の村松画廊(東京)個展では「虚と骨」「Binary unit 2006」など紙紐を「組む」「絡める」で、虚と実が一体化された表面を持つ作品が高い評価を得ましたが、INAXガレリアセラミカの企画展では「系統樹」の思考を働かせた「FEITICO」のインスタレーションで評価を不動のものにしたのです。そして今回の新作に特徴付けられるのは、「結び」の「ひとがた(のような)」形態が現れ始めたことです。作者は、混迷を深める現代の「護符」を編み、ひとがたの「結び」を、黙々と仕組み続けるようです。 
 この後、村松画廊個展や新企画のエマージング・ディレクターズ・アートフェア「ウルトラ002」への出品、さらに愛知県美術館企画による「宮永春香展—「虚と骨」から「FEITICO」
まで—」の出品があると聞きます。衰退傾向にある陶のコンテンポラリーに新たな「接木」をする「系統樹」思考からは、陶造形の衰弱は杞憂に過ぎないと、期待する声は高まります。

                      造形作家・元金沢美術工芸大学大学院専任教授 伊藤公象